灰の森通信

二三川練の感想ブログ

異世界転生の話

 ここしばらく、創作のアウトプットばかりでインプットをほとんどできていない。この度、BOOTHにて私家版作品集である中澤系トリビュート「kuchibue2020.txt」の電子版を販売する運びとなった。これは中澤系の持つ時代への意識を踏まえた上で、短歌、連句、俳句、川柳、詩、小説を執筆するというコンセプトの作品集である。今年の1月に構想を得て、2~4月の3ヶ月間で執筆した。自身のことをあまり卑下したくはないが、同世代歌人の中でも読書量と創作への執着が著しく劣っていることは紛れもない事実である。せめて執着くらいは取り戻そうと思いこの書を執筆したわけである。
 5月上旬に「kuchibue2020.txt」の準備を終え、僕はWOLF RPGエディターによるRPGの制作に取りかかっていた。現在もまだ制作初期段階ではあるが、完成したらフリーゲームとして公開したいと考えている。
 これだけならまだ良いのだが、5月末にある創作のアイディアが湧いたため川柳、俳句、短歌を大量に執筆してしまった。世に出ることは無いかもしれないが、それなりの方法論に繋がり得る作品群ができたと思っている。
 そして6月に入り、そろそろインプットに入ろうとしたが恥ずかしながら活字作品にはしばらく触れたくないというほどに疲れきってしまっていた。文学性の高い作品を見ると、つい僕は自身の創作の糧にしようと躍起になってしまう。頭を休めるためには、シンプルな娯楽作品が効くのである。

 

 というわけで娯楽漫画を嗜んでいるのだが、昨今の流行り、というより巨大な1ジャンルと化した「異世界転生物」の話を今日はしていこうと思う。
 ライトノベルや漫画の1ジャンルである「異世界ファンタジー」のなかには、「異世界転生物」と称されるジャンルがある。多くの場合は現実世界に住んでいる主人公がひょんなことから異世界に飛んでしまい、そこで第二の人生を過ごすというコンセプトである。現実世界で死亡して異世界で別の人間として生まれ直す場合は「異世界転生」と呼び、現実世界から同じ人間としてそのまま異世界に移動することを「異世界転移」と呼ぶ。元々ファンタジーの世界の住民である人物が同じ世界に転生する場合も「異世界転生」と呼ぶようだ。「異世界(へ)転生(する)」ではなく「異世界(における)転生」ということだろう。
 この「異世界」というのも様々で、単なる異世界の場合もあればプレイしていたゲームの世界に転生/転移する場合もある。多くに共通しているのは、「スキル」や「ジョブ」や「レベル」と言ったゲームのようなシステムがそのまま世界のシステムとして採用されていることである。ここが曲者で、ゲームに慣れている読者が簡単に世界観を理解できるという利点はあるが、「異世界」を称しておきながら結局は既存のシステムの焼き増しでしか無いという謗りを免れ得ないのである。「異世界転生物」に対して「現実世界で死んだ主人公が死後に見ている夢ではないか」という解釈が発生するのもこれが由縁であろう。主人公がその世界で「生きて」いるのか、それとも世界を「プレイ」しているのかというのは評価に大きく関わる点だ。もし後者ならば、ゲームを買ってきてプレイした方が早いということになる。

 

 ところで、「異世界転生物」には欠かせない要素として「チート」や「無双」と呼ばれるものがある。例えば、主人公が現実世界で得ていた知識を使用して異世界の文明を進化させていくもの。『異世界薬局』は著者自身が研究者であり、漫画化の際に多数の研究者や専門家の協力により作中の説が最新のものであるかを検証しているという優れものである。作中における医学・薬学の知識は深く広く到底理解できないものもあるが、著者が自身の専門分野の知識を包み隠さず披露していく様子は非常に面白い。
 「チート」や「無双」と呼ばれるもので多いのが、主人公が転生/転移した際に超人的な能力を手にするというものだ。多くの魔法を使えたり腕力があったり敵の攻撃を無効化したり経験値を上げたりと枚挙に暇が無い。テイルズシリーズにおけるグレイドを用いた2周目プレイを初めからできるようになる、とでも言えばわかりやすいだろうか。僕が読んだものでは『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』がこれにあたる。これは魔術への探究心は人一倍あるが魔術の才能は無い主人公が、国の第七王子に転生し強大な魔力の器を手にしたことで自由気ままに魔術の研究をするという物語だ。たいていの無双/チート作品は盛り上がりに欠けるのだが、この作品は戦闘の描写が非常にかっこよく、マガポケ版ではカラーもふんだんに使用されているため目に楽しい。『BLEACH』に代表されるような「オシャレ感」とでも言えばいいだろうか。また、主人公に合わせて敵も強くなり、魔術にも次々新しい種類のものが現れるため飽きが来ない。また主人公が単に強いだけでなく、研究をすることで過去の魔術を発明した人物に思いを馳せるなど、研究者として共感できる点も好感が持てる。

 

 さて、「異世界転生物」にも数々のジャンルがあり、今書いたのは「チート系」である。その他には「スローライフ系」や「料理系」や『異世界薬局』のような「専門分野系」などがあるが、今回は「悪役令嬢系」と「ハーレム系」から一作品ずつ紹介しよう。

 

 「悪役令嬢系」とは、女性主人公が乙女ゲームなどにおける「悪役令嬢」キャラに転生してしまうというジャンルである。そのキャラは本来死刑に処されたり島流しにあったりという運命にあるため、主人公はどうにかその運命を回避することになる。
 僕がこのジャンルで読んだものは『公爵令嬢の嗜み』である。主人公が乙女ゲームの悪役令嬢になってしまい、島流しに遭うところを機転を利かせることで免れ、その機転を評価されて土地の領主代行の任を与えられるという話である。主人公は現代日本の知識を用いて土地にインフラなどを整備し発展させていくが、悪役令嬢であったがゆえに過去の知り合いたち(乙女ゲームにおける攻略対象の男性キャラ)からの妨害などを受けるという王道のサクセスストーリーだ。政治の腐敗や権力争いなど、現実世界にも通じる話が展開され、正直に言ってしまえば「乙女ゲームの世界」という設定は忘れ去られているようにも思える(乙女ゲームにおける主人公にあたる女性キャラが他国のスパイだったり……)。だが、自身の身に危機が迫ったときに主人公が「前世の私」から「今生の私」への心を切り替える場面は作中において、さらには「異世界転生」というジャンルにおいても重要なものだろう。今生には希望も持てず努力しても無駄であるという絶望感から、巨大な才能を持つ存在に生まれ直したいという欲望が多くの「異世界転生物」を生み出していると推測できる。それはハッキリ言ってしまうと幼稚な欲望だが、そのような幼稚な欲望に縋りたくなるほど現代は病んでいるため仕方がないのかもしれない。その潮流のなかからこのように新しい生でも自己実現と自己変革を必要とする物語が生まれることは喜ばしいことだろう。
 『公爵令嬢の嗜み』は女性主人公が領主代行に就くがゆえに自然と女性のエンパワメントを描いていることも特筆すべき点だろう。漫画はまだそこまで追いついていないが、原作である「小説家になろう」版は既に完結している。たいていの「小説家になろう」作品と同様に小説作品としての筆力は低いが、要点を押さえることは十分にできるため一気に読んでしまった。今後の漫画の展開にも期待したい。

 

 「ハーレム系」は、要するに異世界に転生/転移した男がチート能力などを駆使してハーレムを築くというものだ。そのコンセプト自体が下品で女性蔑視的であったため避けていたのだが、たまにはポルノじみた作品も読みたいと思い手を出した『異世界迷宮でハーレムを』が思ったよりも面白かった。なにせ「ハーレム」を銘打っているというのに2人目のヒロインは漫画にして第6巻まで現れない。1人目のヒロインを獲得するのも2巻であり、作品の大部分は主人公が世界に馴染みシステムを研究し生活を向上させていく過程に割かれる。ダンジョン、スキル、ジョブ、といったゲーム的な世界で主人公は奴隷の少女を手に入れる。「奴隷」という言葉が使われており女性の奴隷は性奴隷としても扱われるという世界観ではあるが、言葉がイメージするほど悪い待遇を当たり前に受けるわけではないようだ(1人目のヒロインが自身の売った商館やそこで世話になった人に愛着を抱いているという描写もある)。世界の経済などのシステムのなかに自然と奴隷制度を組み込んでおり説得力もある。なにより、主人公が奴隷制度を知った際に現代日本の倫理を勝手に当てはめるのではなくこの世界のシステムとして受け入れようとする点が良い。また自身が転生者でありチート的な能力も持っているため、世界の火種にならないように派手な動きは避けるという姿勢も好感が持てる。ヒロインとの性行為に関しても、相手が傷つかないように慎重に接するため嫌な気持ちにならない。原作のなろう小説を読むと「イケメン」に対して軽々しく「死ね」などと毒づく様が不愉快だが、今後の漫画展開では修正されることを祈る。

 

 さて、これまで「異世界転生物」について述べてきたが、主人公が異世界に転移する物語はこれまでにも数多くある。それが一大ジャンルと化したのは、「前世と完全に無関係になる」や「過度なチート能力がある」などの設定が一つの定型と化したからだろうか。例えば短歌において作者が実人生と作品世界との関わりをできるだけ断とうとしている動きを見ていると、この「異世界転生」的な欲望はどこにでもあるということがわかる。結局そのなかでも名作となるものは、新たな「私」の「故郷」はどこにあるのか、という問題に向き合っているように感じる。前世の「私」と今生の「私」との間で宙吊りになりながら漫然と力に溺れる主人公を見ても僕は共感することができない。異世界において余所者である「私」とは一体誰なのか、その問いと向き合うことで初めて「異世界」である意義が――と、結局面白い作品は自身の創作の糧にせざるを得ないのが物書きの性分というものであった。

 

次回更新は6月8日(火)を予定しています。

 

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