灰の森通信

二三川練の感想ブログ

「現代短歌」編集部への抗議署名を集めます

【「現代短歌」編集部への抗議署名を集めます】文:二三川練

 

 先日発売された「現代短歌」2021年9月号(通巻86号)の編集後記にて、多くの歌人を蔑ろに扱う発言がありました。この問題について編集部に抗議するため、同様の問題意識を持つ方々からの署名を集めようと思います。
 抗議メールには署名していただいた皆さまの名前(「匿名希望」も可)及び、コメントを書いていただいた方はそのコメントを個人が特定されない形でpdfファイルにて添付致します。

 

署名フォームはこちら


 以下に、本件の詳細と私の認識している問題点を書き記します。

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 2021年7月16日に雑誌「現代短歌」2021年9月号(通巻86号)が発売されました。本号の特集は「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」、すなわち1990年以降に生まれた歌人たち60人の歌を集めたアンソロジーです。誌面ではこのアンソロジーについての大森静佳氏と藪内亮輔氏による対談も掲載されています。

 そして、本号の編集後記に書かれた文言が多くの批判を集めております。以下にその編集後記を引用致します。


 このアンソロジーに自分がなぜ呼ばれなかったのか、不満顔のきみのために理由を書こう。声をかけようとしたが、きみの連絡先がわからない。TwitterのDMにも無反応だ。それ以前に、最近のきみは同人誌でも存在感が薄く、作歌を続けているのかどうかも怪しかったのだ。掘り出した石は君の宝物で、人に見せたいが、市に並べて値踏みをされるのは御免だという気持ちはわかる。だが、こうして市が開かれてみると、もっと見事な自分の石がそこにないことに、きみは茫然とする。ぼくらにできるのは今日仕入れることのできた六百個の石ができるだけきれいに見えるように並べることだ。次の市は未定だけれど、そのときまでに、きみの磨いた石を見せてほしい。(「現代短歌」2021年9月号 156頁)


 先に書いておきますが、私は1993年生まれであり、かつこのアンソロジーにお声掛けいただけなかった立場にあります(一応書いておきますと、TwitterのDMは届いておりませんので文中の「きみ」は私を想定したものではないと考えております)。アンソロジーを編むという行為は数いる人々のなかから人を選び、かつ選ばないという行為のため、お声掛けいただかなかったことに対しての批判は一切ございません。もちろん悔しく思う心はありますが、それは今回の主旨とは外れますのでここで長々と語ることは致しません。

 さて、こちらの編集後記の問題点については既に多くの方がTwitterやブログで言及しています(よければTwitterで「現代短歌 編集後記」と検索してみてください)。主な論点を以下に取り上げます。


・編集部が企画に対する自らの責任を放棄した上で、歌人に対し非常に高圧的な態度を取っている

  こちらは、「不満顔のきみのために」から始まる全体的な口調を見れば一目瞭然であるかと思われます。また一文目以降の内容は「アンソロジーに取り上げたかったけどきみのせいで取り上げられなかった」という責任転嫁となります。例えば私は「同人誌でも存在感が薄く、作歌を続けているのかどうかも怪し」い歌人に該当するかと思われますが、それでもこのような書かれ方をされる謂れはありません。
 アンソロジーは人を選ぶ側が全責任を負うからこそアンソロジーとしての価値があり、ゆえに読者は選ぶ側の選定眼も含めて楽しむのだと私は考えております。しかしこの編集後記の書きぶりでは編集部の責任は一切放棄され、選ばれた歌人に対しても「連絡先がわかった」「DMに返事が来た」「同人誌で目立っていた」という理由で選んだのかという疑念が生まれます。つまりこの60人は、歌の質ではなく歌人としての政治的立ち回りが評価されて選ばれたのか、と疑われかねないのです。このような態度はアンソロジーに呼ばれなかった側はもちろん、選ばれた方々やこのアンソロジーを楽しみにしていた読者の方々までも侮辱するものです。


・「市」と「石」という比喩

  この編集後記では、アンソロジーに呼ばれなかった(DMに返答をしなかった)多くの歌人の心情を「市に並べて値踏みをされるのは御免だという気持ちはわかる」と勝手に推察しています。「きみ」をプライドが高く他人からの評価を拒む存在として勝手に設定し諭すような書きぶりですが、現在の様々な短歌の新人賞の応募総数などをご存じないのでしょうか。
 さらに言えば私は、そしておそらくはこのアンソロジーに呼ばれた歌人も呼ばれなかった歌人も、「現代短歌」をはじめとする短歌総合誌に作品(=「石」)を渡し売上に貢献することを目的として作歌活動を行っているわけではありません。ただ自身の文学観や実生活とのペース配分を考慮しながら創作活動をしているだけで、なぜこのような中傷をされなくてはならないのでしょうか。
 また、寄稿した歌人たちの作品を「今日仕入れることのできた六百個の石」と表現することは、その背後に確かにいる人間の存在を無視しています。特集の序文にランボオの「無検査のダイヤモンドの大売り出し」という文言を引用したことにも、同様の問題があります。


 以上の二点を踏まえ、私は「現代短歌」編集部に対して抗議のメールを送ります。それに伴い、この件について同様の問題意識を持つ方々に、ぜひ署名をしていただきたいと思っています。

 

 歌人がこのように1つの出版社から蔑ろに扱われてしまうという出来事の背後には、長い時間をかけて歌壇及び短歌メディアに構築されてきた権力構造があると考えられます。新人賞を受賞することや歌集を出すこと、大々的に活動することでようやく「歌人」として一人前だと認められる、といった構造が未だに現歌壇には見られます。
今回のようなことがあっても「現代短歌」は買われるでしょうし、多くの批判もTwitter上での一時の炎上で終わってしまうのでしょう。それくらい「歌人」一人ひとりの声は弱く、蔑ろにされやすいというのが現状です。また、どれだけ怒りを抱いていても、「原稿依頼が来なくなるかもしれない」「大ごとにしては周囲に心配をかけてしまう」といった理由で行動を制限されている方も非常に多いのではないでしょうか。

 

 今回抗議署名を集めることの目的は、1つには「現代短歌」編集部に問題点を認識していただき公的な謝罪を求めることがあります。そしてもう1つは、こういった歌壇及び短歌メディアにおける権力構造を批判し、行動をする歌人がいることをはっきりと可視化させることです。

 

 冒頭にも書きましたが、「現代短歌」編集部へ送るメールには、署名していただいた方々の名前やメッセージがあればそれも付記する予定です。そのため、「匿名希望」という形式でも構いませんのでぜひ署名していただけたらと思います。
 この運動を行っても、何かがすぐに変わるとは限りません。それでも何かを変えられるかもしれない以上、このままではいけないと思う以上、私は行動します。どうかご協力ください。

 

署名の目的
・「現代短歌」編集部に本件の問題点を認識していただくこと
・「現代短歌」の誌面や現代短歌社ホームページなどに公式の謝罪文を掲載していただくこと
・歌壇及び短歌メディアにおける権力構造を批判し、行動をする歌人がいることを可視化させること

 

署名フォーム

 

 8月14日(土)に集計し、「現代短歌」編集部に送らせていただきます。また、ご返答がいただけましたらそちらもブログに掲載したいと考えています。その旨は事前に「現代短歌」編集部へお伝えし、許諾を頂けた場合に行います。