灰の森通信

二三川練の感想ブログ

【一首評】汚物入れに群がっている蠅蠅よ聞いてわたしも人が好きだよ/藤宮若菜『まばたきで消えてゆく』(書肆侃侃房 二〇二一年六月)

汚物入れに群がっている蠅蠅よ聞いてわたしも人が好きだよ/藤宮若菜『まばたきで消えてゆく』(書肆侃侃房 二〇二一年六月)

 

 連作「そのみずうみに浮かぶものたち」より。解説で東直子が書いているように「人々」のように「蠅蠅」と呼びかけている点が面白い。句切れは「蠅蠅よ/聞いて/わたしも」の二箇所であり、独立した「聞いて」がより切迫感を生んでいる。
 「汚物入れに群がっている蠅蠅」は汚物の臭いに本能的に群がってきたものであろうが、それに対し「人が好き」であるという解釈を持ちだす点が面白い。たしかに人間から出てきた汚物の臭いが好きならば「人が好き」という解釈も納得ができる。問題はそれに対して「わたしも人が好きだよ」という宣言を行うこと。死や絶望や哀しみなどを感じさせる歌群を経て末尾にこの一首を置くことは解説で東が言うように「覚悟を決めた孤独」である。そして同時に「わたしも」と書くことで、「わたし」自身も「汚物入れに群がっている蠅蠅」であるという読解が可能となる。だが、汚物に呼び寄せられた蠅蠅に対し「わたし」は「わたしも人が好きだ」という宣言と認知を行うことで主体性を獲得している。「聞いて」は「蠅蠅」に向けられていると同時に「わたし」にも向けられているのだ。この宣言は、この世界のなかでそれでも生きていくという宣言でもある。弱々しくも芯の通った決意が見られる一首。