灰の森通信

二三川練の感想ブログ

【一首評】生まれ変わったら台風になりたいねってそれからは溶ける氷をみてた/藤宮若菜『まばたきで消えてゆく』(書肆侃侃房 二〇二一年六月)

生まれ変わったら台風になりたいねってそれからは溶ける氷をみてた/藤宮若菜『まばたきで消えてゆく』(書肆侃侃房 二〇二一年六月)

 

 連作「夏が終わったら起こしてね」より。句切れは「なりたいねって/それからは」の一箇所。具象の薄い一首であるが不思議と印象に残った。短命ながらも激しい雨を降らし日本を横切っていく台風。その台風になりたいことを告げる上の句では、激しい感情を押し殺しながら今を生き、かつこれからも生きていくことになるであろう「わたし――たち」の諦念が見られる。そして台風とは対称的に氷は時間をかけて静かに滅んでゆく。この「みてた」には感情を押し殺した先の空虚がある。

 ところで、句切れの直後に「それからは」など時間の区切りを置く手法には不思議と見覚えがある気がする。例歌がすぐに思い浮かぶわけでもなく、なんなら最近自分が使った手法と偶然一致しただけかもしれないが。こういった手法は句切れでありながら接続詞で繋ぐことで、深い句切れでありながら前後の繋がりを否応なく保つことができる。時空間的な飛躍をわかりやすく行うことができるという点では開かれた手法であると言えるが、句切れを平易にするために接続詞分の字数を使うのは少々もったいない気持ちもある。果たして短歌読者にとって句切れはどこまで馴染んでいるのだろうか。