灰の森通信

二三川練の感想ブログ

【一句評】前の世は鹿のにおいがしたという/樋口由紀子『めるくまーる』(二〇一八年十一月 ふらんす堂)

前の世は鹿のにおいがしたという/樋口由紀子『めるくまーる』(二〇一八年十一月 ふらんす堂

 

 前世の話をする際、「前世の私は◯◯だった」という自身の状況について話すことは多いだろう。しかしこの句では「鹿のにおいがした」という全盛の「私」がいた世界についての描写になっている。しかも「という」という伝聞調である。ここから「前の世」の話をしているのは他者と考えることもできるが、僕はこれを前世の「私」から聞いているのだと読みたい。今生の「私」が前世の「私」からその頃のことを聞いているのだ。
 またこの句の大きなポイントは「鹿のにおい」である。鹿のにおいとはどんなにおいだろう。鹿は牛や馬ほど人間と近くなく、虎やライオンほど遠くもない動物だ。草食動物である鹿のにおいは、きっと自然界を暗示するにおいをさせていることだろう。自然の、そして神聖なにおい。「前の世」は想像するよりも遥か昔の時代なのかもしれない。対して今の世はどのようなにおいがするのだろうか。

 

 余談。僕は川柳の初心者であるが連句の経験は合計して三~四年はあると思うので平句として考えればもう初心者を名乗るべきではないのかもしれない。平句から独立した川柳は前句と付句を喪失することで初めて自らの切れ――独立性と完結性を獲得したのかもしれない。一方で、独立せず完結しない、前句と付句のにおいを残すことで独立と完結を為した句もあるだろう。浅学ではあるが、今月の一句評を通して川柳と切れの問題にも目を向けていきたいと思う。