灰の森通信

二三川練の感想ブログ

寺山修司はなぜ川柳を書かなかったのか――寺山文学が後世に遺した全体文学の課題

※本稿は「えこし通信」27号(2023年 えこし会)に寄稿した原稿です。

 

 寺山修司はなぜ川柳を書かなかったのか――寺山文学が後世に遺した全体文学の課題

二三川練

 

 

全体文学に向けての試論

 寺山修司(一九三五―一九八三)が短歌や現代詩、演劇や映画など様々なジャンルで大きな功績を残したのは周知の通りであり、現在に至るまで多くの研究者や識者が寺山についての研究を行っている。筆者自身も横断文学者としての寺山修司の研究を行い、その文学的本質や寺山が試みた全体文学への展望を明らかにした。その過程で筆者が抱いた疑問の一つに、寺山はなぜ川柳にほとんど触れていないのかというものがあった。寺山は短歌創作論の一つに「現代の連歌」を掲げており、句切れを駆使することで俳句から短歌への横断を実践した作家だ。なぜ、連歌への意識を持っていながら寺山は俳句にだけこだわり川柳には手をつけなかったのだろうか。

 筆者はこの疑問について「月報こんとん」五月号収録の「寺山修司はなぜ川柳を書かなかったのか~現代川柳の横断可能性について~」にて論じ、寺山の川柳批判、及び現代川柳の横断可能性について示した。しかしこの論は寺山研究という視点では未だ不完全であったため、本稿にて再び俳句、短歌、川柳の三形式を捉え直すことで全体文学のあるべき姿を問うこととする。

 

 まず、筆者が博士論文「横断文学者寺山修司の試み~俳句と短歌の統合に向けて~」(日本大学大学院芸術学研究科博士論文 二〇二一年三月)にて明らかにした寺山の試みと展望について述べよう。

 寺山は自身の短歌のデビュー作「チェホフ祭」にて俳句から短歌への横断を行った。これは「現代の連歌」「第三人物の設計」「単語構成作法」といった方法論に則ったものであった。また、寺山はこの横断を行うきっかけとして中城ふみ子の短歌の存在を示唆しており、俳句と短歌――具象性と暗示性の接点をこの横断に追求したものと考えられた。

 「チェホフ祭」の次に寺山が試みたのは「私」の拡散と回収による全体文学の実践であった。これは全体的な「私」像を作者がイメージした上でその断片を短歌に散りばめ、読者が回収するという手法であった。寺山の第三歌集『田園に死す』がこの実践である。そしてこの実践と挫折を踏まえて寺山が直面したのが短歌の自己肯定の問題であった。これは短歌がどうしても自己を出発点としてしまうがゆえに、他者を持てないという問題である。これに直面した寺山は「歌のわかれ」を告げ、演劇や映画への横断を行う。

 そして晩年の寺山は再び俳句と短歌への意欲を見せる。これは自らの死に直面したことで生まれた「個人」の問題への意欲であり、内面化の果てにある滅私の「私」への意欲であったと考えられる。その実践としての作品を発表することは一九八三年の寺山の死によって叶わなかったため、滅私の「私」の表現による全体文学の試みが寺山の最後の課題として遺されたのである。

 

 では、続いて全体文学の試みにあたって俳句と短歌が持つ特徴と欠点、そして寺山と川柳の関係及び川柳の特徴と欠点について述べよう。

 

俳句の特徴と欠点について

 寺山が注目したのは俳句の持つ句切れ、そして具象性であった。この句切れを短歌に取り入れることで言葉と言葉が暗喩的関係に置かれ、物語性が生まれる。つまり、物語の説明にならずに具象性と暗示性が両立するのである。

 一方、俳句の持つ欠点はその短さにある。「ロミイの代辯――短詩型へのエチュード」において「ぼくは行為が画かれない即物詩のなかではやはり窒息しそうだし、最近俳壇でとやかくいわれている『もの』の問題にしても、ものの描写が行為を暗示するという線でのみ妥協できるのである」と書かれていたように、寺山は俳句の即物性に暗示性を求めていた。そして、即物性と暗示性の接点として中城ふみ子の短歌に希望を見出したのである。つまり、俳句の短さでは短歌的な物語性を構築することができなかった、というのが寺山が俳句に感じた欠点であると考えられる。

 

短歌の特徴と欠点について

 まず短歌は「私」が発生することにより物語性を暗示することができる。寺山はこれに注目し「第三人物の設計」という方法論及び「私」の拡散と回収という方法論を生み出した。つまり、全体文学の展望は短歌に始まっていると言ってもよい。しかし、先に書いたように短歌はどうしても「私」から出発してしまうという欠点を抱えていた。全体的な「私」を描こうにも他者を描くことはできない、という問題が『田園に死す』の前に立ちはだかった壁であり、寺山の「歌のわかれ」のきっかけであった。

 ただし、晩年において寺山は短歌のこのデメリットを捉え直している。「私」から出発する短歌が、その内面への深化によって滅私の表現に至るのではないか、という展望である。これは未開拓の領域であり、今後の研究と実践によって明らかになるだろう。

 

続いて川柳の特徴と欠点について

 筆者が「寺山修司はなぜ川柳を書かなかったのか~現代川柳の横断可能性について~」にて記したように、寺山は川柳を「芸術」として認めてはいなかった。ただしそれは川柳という形式を全否定していたわけではない。落書にある高い批評精神を認めた上で、川柳の目指すべき道として落書を提示したのである。ここで川柳と落書の共通性として考えられるのが無私性であった。

 川柳は「私は何にでもなれる」という特徴を持ち、それは言い換えれば「私は何者でもない」という特徴――無私性を持つ。川柳の「私」は無自覚な「私」とでも呼ぶべきものであり、それゆえに個のわがままな内面が表れていると言えるだろう。それは詩――芸術になる以前の、揶揄や皮肉といった感情をそのままに描くことが可能な形式であるということだ。

 だが、寺山は川柳を書き残さなかった。これは川柳の抱える署名の問題に起因すると考えられる。落書と川柳の大きな違いは作者名を著すという点にある。作品における署名は、作品の責任の所在を明らかにするものだ。ゆえに寺山は「短歌における『私』の問題」にて、当時の作家がその責任についてどこまで自覚的なのかを問うている。では、この「責任」は果たして川柳にも発生するものなのだろうか。

 筆者の考えでは、落書になり得た川柳はもはや署名など関係なくその責任から逃れることが可能である。先に書いた通り、川柳は「あなたが誰でも構わない」という性質を持つ。それが川柳の無私性であり、その署名すらも無私にしてしまう、というのが筆者の川柳観である。

 この署名の捉え方にこそ寺山が川柳を書かなかった理由があるだろう。川柳は署名の責任を無にする落書の形式であるが、寺山は寧ろ署名により発生する責任に注目していた。さらに言えば、「寺山修司」という署名をした俳句、短歌作品を既に多く残していた。それを踏まえると、自身を仮構し新たな「私」を生成しようとしていた寺山が「落書」に自らの名を著すことを避けたと考えても不自然ではないだろう。

 ここに寺山の課題があったと考えられる。自らは落書を愛し、落書の持つ覚悟を文学に求めていながら、自身は落書――川柳を忌避していた。寺山が晩年に臨んだ内面の深化は、まず川柳から始める必要があったのではないだろうか。

 

 では、これらを踏まえた上で全体文学のあるべき姿を考える。まず、全体文学の前提として全体的な「私」のイメージを作者が持つ必要がある。このイメージのきっかけを川柳の無自覚な「私」が導くだろう。誰でもない「私」つまり誰でもある「私」は、ありとあらゆる「私」に扮して揶揄や皮肉を行うことができる。ここに、一人の作者がありとあらゆる他者となれる根拠がある。そして川柳の持つ内面から始めることで、短歌における内面の深化――滅私の「私」へ向かうことができると考えられる。

 次に、川柳から俳句への横断を行う。ここで川柳が即物的な俳句に書き換わることで、物語性を獲得するための具象性を得ることができる。川柳から直接短歌へ横断してしまうと観念的、説明的な短歌に陥る危険がある。そのためここで俳句へ横断することによって具象性を獲得し、川柳の揶揄を文学的、芸術的な批評性へ昇華することができる。

 最後に、川柳から横断した俳句からさらに短歌へと横断する。ここで具象性と暗示性が融合することで物語性が生まれる。そして川柳のありとあらゆる「私」の内面を深化することで、全体的な「私」の断片を散りばめることが可能になる。つまり、短歌で他者を描くという展望がここにはある。それはまた同時に、深化の果てに滅私の「私」へと至ることも意味している。これが全体文学の輪郭である。

 無私の「私」から滅私の「私」へ。揶揄する「私」から批評する「私」へ。これらの横断を経ることで、全体文学の試みは完成するのではないかと筆者は考える。だが、その実践のためには様々な課題があることも間違いない。

 果たして誰でもない「私」、ありとあらゆる「私」の全体像をイメージできるかどうか。これが第一の課題にして最も大きな課題であると筆者は考える。この文学的に閉塞した時代において、それほどの想像力を持った作家が一人でもいるだろうか。寺山修司が後世に遺した課題は、現代文学の想像力を今一度問うことになるだろう。

 

 以上を踏まえ、寺山の俳句→短歌への作品あるいは寺山の俳句作品を前にし、あるべき川柳とはどういうものなのかについて筆者自身の試作品を提示して筆を置く。

 

 

寺山の俳句及び短歌につけた川柳(小文字が寺山修司の俳句及び短歌、大文字が二三川練の川柳)

 

チエホフ忌頬髭おしつけ籠桃抱き

桃いれし籠に頬髭おしつけてチエホフの日の電車に揺らる

チエホフ忌下北沢に立っていろ

 

夏井戸や故郷の少女は海知らず

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

少女から海の味するチョコレート

 

この家も誰かが道化揚羽高し

この家も誰かが道化者ならむ高き塀より越えでし揚羽

母も道化おれも道化の朝ごはん

 

目つむりて雪崩聞きおり告白以後

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

告白も雪崩も君のせいですよ

 

桃太る夜は怒りを詩にこめて

桃太る夜はひそかな小市民の怒りをこめしわが無名の詩

し は もも だいすき 戦争 だいきらい

 

老木に斧を打ちこむ言魂なり

山小舎のラジオの黒人悲歌聞けり大杉にわが斧打ち入れて

老木が斧のペニスにお辞儀する

 

枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや

音立てて墓穴ふかく父の棺下ろさるる時父目覚めずや

棺桶に入り親父と旅行する

 

わが夏帽どこまで転べども故郷

ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ

故郷で買われた処女が処女作です

 

寺山の俳句につけた川柳(小文字が寺山修司の俳句、大文字が二三川練の川柳)

 

いもうとを蟹座の星の下に撲つ

いもうとを殴った順に下校せよ

 

暗室より水の音する母の情事

母親は水商売に飽きている

 

土曜日の王国われを刺す蜂いて

蜂ならば王国くらい滅ぼせよ

 

旅に病んで銀河に溺死することも

なにが旅なにが故郷溺れてしまえ